いつも心に太陽を 唇に歌を

" 晴れ時々弾き語り、のちタコス "

3回忌法要を終えて

今日は妻の3回忌法要だった。

昨年の1周忌同様、妻の実家にて執り行う。

と、言っても参加者は自分と両親、義母、義妹夫婦とその2人の子の計8名。

 

昨日は独り、先んじて墓掃除をした。

花挿しを洗い、少しだけ買い揃えた花を入れた。

「少しだけ」にしたのは、法要当日にも仏前で拝んだ後に、家から墓へ

花を持ち込むため、全くないと寂しいし、かといってたくさん挿してあると

持参した花が足せなくなるので「少しだけ」。

その後は義母、義妹と仏間で当日の段取りをセッティング。

 

迎えた今日の肝心の法要も滞りなく家⇒墓⇒再び家に戻っての会食で無事に終える。

両親と義母は久しぶりの対面でいろいろと話に花を咲かせていた。

この老世代は親戚の誰々が病気になったとか、亡くなったとかいう話題に事欠かない。

考えてみれば法事とはそういうことを話す機会なのだろう。

そして生き残った者たちがリフレッシュし明日からも生活するためのイベント。

だからそれはそれで良いし、何よりも義母が娘(妻)を供養する場をちゃんとサポート

出来たことが自分的には嬉しかった。

 

ただ個人的には今日が「本当の命日」ではないし、

そもそも「毎日が命日」と想っているので

何か法事自体に妻との深い関わりを感じようとするのはどこか違う気がする。

1周忌の時は確かに「あれから1年かぁ」という感慨はあったけど

この先はそういう感覚は次第に薄れていくんじゃないかな。

次はなぜか4年後の”7回忌"だし...。その次はそこから6年後の"13回忌"...

(仏教的にはそのスパンにもちゃんとした意味があるのだろうけど。)

 

うん。

どう考えてもやっぱりそうだ。

我田引水だけど「毎日が命日」でいいと想います。