「妻がいた歳月」と「妻が去った後の歳月」。
それは彼女が生きた時間と生きられなかった時間。
どちらも彼女がくれたもの。だからどちらも大切にする。
それが妻の分までしっかり生きるということだから。
2022年の幕開け。
部屋の卓上カレンダーを新調する。
"手のつかぬ 月日ゆたかや 初暦"
吉屋信子という作家の句で向田邦子のエッセイで引用されていた。
年末の物寂しさから新年はほんの少しでも高揚感を持って迎えたいのが人情。
ワクワク感やときめきのような感覚が時々去来すればそりゃこの歳になっても嬉しい。
でもそんな想いを抱くこと自体が贅沢な話なのかもしれない。
この世には食糧さえままならず、住む家もなく
布団で眠ることの叶わない人も数多く存在するのだから。
ある人の言う「不平不満・不幸せ」なレベルが
別の誰かにはすでに「極上の幸せ」レベルかもしれない。
国内だってこの長引くコロナ禍で窮する人が増えているニュースには事欠かない。
そう考えると幸せの座標軸は人によって違うということが分かる。
「成功」とか「勝ち組」という言葉は華美だが、他人をマネたところで
そこにたどり着けるかどうかなんて分からない上に、たどり着いたからとて、
結局「幸せ」かどうかなんて約束も保証もされていない。
経済的な資産や物質的な量ならばそれらを測る尺度や単位はいろいろあるけれど
心の豊かさを測るパラメーターはない。
その座標軸はその人にしか描けないものだし、ましてや何が正解かは人それぞれ。
昨年は『人生のかきくけこ』を考えてみたが、
最近「おっ、これいいな」と想った言葉は
"50過ぎたらモノは引き算、心は足し算"。
2022年も自分なりの座標軸がさらに確固たるものになりますように。