もうすぐちょうど半年となる命日。
朝晩、律儀に"般若心経"を唱えるのは続いている。
漠然と「供養になれば」ということだけで
クリスマスの時期になれば国中の至る所で
イルミネーションが灯され、老いも若きも浮かれ気分になる。
ほとんどの日本人はクリスチャンでもないのだが。
日々、そんなに小難しく考えている訳ではないが、
妻が逝ってからは否が応でも宗教について考えることが増えた。
天国や極楽浄土、神や仏、魂や死後の世界、それらが存在するのか、
今でも正直、「分からない」。
あえて言えば、結局、宗教は生き残った者の「浪漫」なんじゃないかと。
それが生存者のエゴから出たものだとしても、人間である以上、
「浪漫」を持つこと自体は悪いことではないはずだ。
ユビキタスという言葉がある。
元はラテン語で「いつでもどこでも存在する」の意らしい。
イエス・キリストが時間や空間を超越して遍在(至る所に存在)する
概念から派生した。
独り善がりな解釈だが、神だけでなく故人の魂が「遍在」するのであれば
いつでも妻がそばにいてくれると思える。これは「浪漫」だ。
仏教ではご先祖様の霊魂はお盆に戻ってくるということだが、妻はご先祖ではない。
何となくだが「つかず離れず」で自分の近くで時として見守ってくれている、
今頃はそんな風に思うようにしている。
この先も自分は特定の宗教・宗派を信奉することはないと思う。
でも遺影や墓石に話しかけたり、生前好きだった果物や菓子を供えて祈るのは、
特定の宗教がそうさせているのではなく、
誰しもが「自ずとそうしたくなる」からに他ならない。
仏教でも、キリスト教でも、何々教徒でなくても構わない。
カテゴリーにとらわれる必要はないと感じる。
オレが信仰する宗教はたったひとつ。
「浪漫」でいい。